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今ふたたびの絵画へ

「今日」を画で残したり、文字で残したり。

塔が見える風景(西の京薬師寺)

塔が見える風景(西の京薬師寺)_20210314
(ガッシュ)

奈良はこれまで、たまたまコロナの大感染を免れていて
いざとなったら何もできないんじゃないかと思っていたら、はたしてその通り。
今や人口比での感染者割合が大阪、沖縄についで現在堂々全国第3位である。
この新展開に今の知事はほぼ無策というだけでなく、
「奈良は安全だ」といい、飲食をPRするというトンチンカンぶりだ。
ソフトな語り口ながら、これはブラジルのボルソナロ節を思わせる。
「飲食店や経済を守るため」、と言うけれども、
県内の飲食店店主がインタビューに答えて言うには、「そんなん言うてる場合か」。

3月末、久しぶりに西ノ京へ描きに出かけた。
秋篠川の堤の道を描くつもりだったのだけれど、
大規模な工事が行われていて、しばらくはこの辺りで描けそうにない。
仕方なく少し北に移動したら、瓦屋根越しに薬師寺の塔が二つとも見えたので
この日はここを描くことにした。

画は右が昭和56年に再建された西塔で、
よく見ると屋根の軒が東塔より上がって、勾配が緩い。
20才頃に読んだ、再建にあたった宮大工棟梁 西岡常一さんの本には、
「瓦の重さによって軒は徐々に沈み、200年後には同じ勾配、同じ高さになります」
と書いてあった。
気の長い話ではあるけれど、歴史、文化財の継承とは
このような責任と長期的な視点を持った人が繋いでいくのだと
当時とても感動した覚えがある。
それにしても、私が父の元に帰郷している間に
2009年から解体修理していた東塔の工事が昨年完了して、
こうして二つの塔をともに見ることができ、描けたのはとても幸せなことだ。
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志賀直哉旧邸裏通り(奈良市高畑町)

志賀直哉旧邸_20210307
(ガッシュ)

文豪志賀直哉が自ら設計もしたこの奈良市高畑町の住居に住んだのは
昭和四年から9年間、今とはあたりの風景もずいぶん違っただろう。
右奥に見えるオレンジ色の山は若草山。
今年は山焼きが雨で中止となり、今もまだきれいな枯れ草色をしていて、
草を刈り取られている裾野の方から、若草色に染まり始めている。

この時代の大作家は「文豪」と呼ばれて、
今の流行作家よりもはるかに尊敬された扱いをされている。
皆漢文の素養があって漢籍はもちろん、英語、独語の原書にもあたり
芥川龍之介は明治期にバルザックの人間喜劇全巻を英訳で読んでいたくらいで
教養という点だけでもされるべくして尊敬されていた。
しかし下世話なことを考える私には、
志賀直哉に限らず、大正や昭和初期にいくら著書が「売れた」とはいえ、
おそらくは当時、ベストセラーでも数千部にすぎない本の印税で
邸宅や別荘を持つことができたことが、何より不思議に思える。
一般人からの「尊敬」は大きかったろうけれど、
それが糧になったとも思えない。
CMに出たり講演旅行へ出たりすることもなかった時代、
どのようにしてこんな暮らしを立てていたのだろうか。

ちなみに志賀直哉先生は銀行頭取の息子だったので、暮らしは裕福だったのだろう。
さらに運動神経が良くて、自転車の曲乗りも得意だったそう。
奈良から東京へ転所してからは「白樺」を創刊した人らしく油絵も描いているけれど
こちらは後世に残ったのが気の毒になるほどの凡作だ。
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水上池の畔

水上池畔に立つ木(奈良市水上池)_20210130
(ガッシュ)

Netflixで遅ればせながら映画「陽はまた昇る」を観て驚いた。
映画はNHKのプロジェクトXを彷彿させる、
世界初の家庭用ビデオレコーダーVHSビデオデッキを開発する技術者の物語。
ところが、実直な技術屋あがりの工場長、彼を支える真面目すぎる経理部長、
自宅へ帰れば美しく仲のいい妻と反抗期の子供がいる設定、
時代遅れの古ぼけた工場と、その開発室の美術デザイン、
強すぎるライバル企業の存在と、さらには音楽の雰囲気まで
何から何まで「下町ロケット」とそっくりで、というか、
「下町ロケット」が「陽はまた昇る」に激似といった方が正しく、これは2001年の作品。
しかし名優仲代達矢演じる松下幸之助の大阪弁は誰が監修したのか、ひどい。

映画自体はとても面白い。
元大手家電メーカーエリート社員だったという友人ボリウッドマンによれば
NHKのプロジェクトXをTVで観ていた東映社員が映画化を思いついたので、
映画自体がプロジェクトXに似ているのは当たり前とのこと。
ちなみに映画の予告編ではBGMに「地上の星」が流れてさえいる(本編では流れず)。
彼によると、当時東映のヤクザ映画路線がそのピークを過ぎ、
その役者が大挙してカタギの映画になだれ込んだそう。
この映画でもソニー、ビクターの社長や重役、通産省官僚に至るまで
コワモテだらけで到底上場企業の経営者には見えないのが面白い、とのこと。
15年後、「下町ロケット」が本作と基本プロットまんまGO!なのは
オマージュでもパロディでもないだろう。


画は四たび水上池。
この日、筆洗用の水を持ってくるのを忘れた。
目の前の池にはこんなに満々と水を湛えながらも、
筆を洗うわずかな水がないのはなんとも歯がゆかった。
いざ水を探すとなかなかないもので、
とうとう離れた場所にあるコンビニまで歩き、30分以上を無駄にした。
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歌姫の森-02(歌姫町)

歌姫の森-01(歌姫町)_20210213
(ガッシュ)

画はふたたび「歌姫の森」、少し前に描いたもの。
この画を描いていて空がにわかに曇ってきた。
振り返ると、逆光の中に浮かび上がる二本の大樹がすばらしかったので、
紙を替えて描いたのが以前アップした「二本のクヌギ」だった。
その後、ふたたび陽が差してきて、風景の一部をオレンジ色に染めた。
自然に無駄なものは一切ないとよく言うけれど、
この劇的な風景の変化は、いったいなんの役に立っているのだろうか。
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世界のリンゴ (画は「舗道のスミレ」)

舗道のスミレ_20210330
(ガッシュ)

友人から「面白いから読め」と先週メールが来た。
勧められたのは日経新聞夕刊 文化欄、益田エミさんのコラム。
益田さんはイラストレーターながら文章の語りがうまくて楽しいのに驚いた。
コラムは学生時代に参加した海外研修旅行最後のロンドンでのお話。

親にひたすら頼み込んで出かけた初めての海外旅行、
なのに訪問した最後の国、英国のロンドンでのことが何一つ思い出せない。
当時の日記を開いてみて、とりわけマメにつけていた食事の記述に驚く。
「夕食、リンゴ」「リンゴ、お菓子」「リンゴ、トマト、ケーキ」
そんなメニューの連続に「いったい何が楽しかったのだろう」と自問するが、
日記はどこを読んでも幸福感いっぱいなのであった。
「18歳のわたしが楽しかったのなら、
 今のわたしが忘れていても別にかまわないのかもしれない」と結んでいる。

知らせてくれた友人は中学の頃から何度となく、
米国の一般家庭へホームステイを経験していた。
その時の土産話を聞くのは楽しかった。
うちとレベルが違いすぎて、「うらやましい」とは思いもしなかったのは幸福である。
その時に聞いた話で今も印象に残っているのは、アメリカの子供達の弁当のことだ。
「アメリカの子供はな、ハンカチにリンゴとか人参一つ包んで学校へ行くんやぞ」
ここでもやっぱりリンゴだ。

わたしが初めて海外へ旅したのは30歳を目前に控えた頃、
最初に訪れた「外国」はソビエト、今のロシアだった。
横浜港から客船に乗ってナホトカへ行き、
そこから一度列車を乗り換えてシベリア鉄道でモスクワへ。
多くの乗客が乗っていたけれど、私だけがいくつもの手違いにあっていた。
(一番大きな手違いは目的地の違う列車に乗せられたことで、これは以前に書いた)
最初の手違いがこの列車で、寝台をロシア人の車両に当てられたこと。
当時は外国人旅行者は皆同じ車両に集められて、ロシア人との接触は避けられていた。
私だけなんでだろう、とにかく私は4人がけのコンパートメントで一週間の間、
バラライカ奏者のビクトールさんと、別の母子(姉弟)三人連れとともに過ごすこととなった。
彼らは旅費節約のためか、皆一週間分の食料を持ち込んでいた。
ビクトールさんは何が入っているかわからない、ラベルのない缶詰を持ち込んでいた。
目を引いたのは若いお母さんと小さな子供達で、二階の私のベッドからそれとなく見ていると
彼らのベッドの上に小さなまな板を置き、その上に玉ねぎ、にんにく、
そしてやっぱりリンゴがあった。
それを子供に食べやすく、というか、小さく切って生でかじらせていたのだ。
彼の国が革命前夜で最も貧しい時だったせいもあるかもしれないけれど、
子供たちに生の「にんにく」なんか食べさせても大丈夫なのだろうかと
外国人ながら心配した思い出がある。

NHKでは最近、海外のお母さんたちが作ったキャラ弁当などを紹介しているけれども、
きっとあれは例外で、ウインナーに刻みを入れてタコの形にしたり、
炒り卵でピカチュウを描いたりするのは、世界でも特異な日本の文化に違いない。
そして世界のどこかではきっと、リンゴが主食の国があるに違いない。
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春が来た 「ネギとレンゲと民家(奈良市奈良阪町)」

ネギとレンゲの花が咲く風景(奈良市奈良阪町)_20210327
(ガッシュ)

まだアップしていない画が結構あるのだけれど、
こういう画題は旬のもの、これは一昨日描いてきたばかりの画。
右手の方には菜の花が咲いていて、レモンイエローの花が目にまぶしかった。
おひたしは、食卓にはすでに並んだ。私の好物だ。
レンゲのピンクの花はともかく、ネギというのはちょっと残念だけれど、
やや青みがかった鮮度のある緑は美しい。
今年も春が来たのだ。

少し前に比べて明らかに日が長くなっている。
「明るいけど、そろそろ片付けるか」と思ってスマホの時計を見ると、
もう5時過ぎていたりする。
ひと月くらい前はこの時間、もう暗かった。
時間ができたせいか、ちまちまと細かいところを描いてしまって
あとでがっかりする。
ただ、描いた道には立つことができ、家には入っていけるように描きたい。

昨年に買った野見山暁治さんのアトリエ日記を少しずつ読んでいる。
いくつか気になる言葉があって、最近目がとまったのはこんなのだ。
「近ごろ、絵は具象でないと、どうも拠りどころがないような気がしてならん。
 ぼく自身、いまの仕事にうんざりしている。」
私が具象的な風景や静物ばかりを描いているからというわけでもなく、
これは自分なりによくわかる気がする。
バーチャルな体験ばかり多くなった世の中で、
人もなにか実感のあるものを求めているんじゃないだろうか。
私のふだんの仕事はグラフィックデザインで、
この仕事はいわば、出された御題を抽象的に表現する仕事の連続だ。
せめてプライベートの画は形あるものと対峙したい。
さらに言葉は続き、「肌寒い写実の仕事も止めてくれ」。
これはもっとよくわかる。
と言いながら、私の画は「描き込みすぎ」と言われるかもしれない。
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